【人はなぜ生きるのか?】 その答えとなるヒントが書かれているロングセラー本『夜と霧』【書籍レビュー】
あなたは生きる意味について考えたことはありますか?
生きる意味・・・。
意味なんて深く考えたこともないけど、
とりあえず生活のために働いて必死でお金を稼いでいる。
僕自身がまさにそうです。意味なんかの前に自分自身、そして家族が生活するため。
・生活費を稼ぐ以外に働く目的がない
・仕事で抱えるモヤモヤを解消したい
・今の仕事は本当に意味があるのかわからない
そんな方に読んでほしいのが、ヴィクトール・フランクルの名著「夜と霧」です。
なぜ、僕がこの本に辿り着いたのか。
僕は、どちらかと言うと、自己啓発本とかビジネス書ばかり読んでるタイプの人間です。
名著や歴史的な文学と呼ばれるものは、あまり読んできませんでした。
学生の頃も国語とかどちらかと言うと嫌いでした。
ですが、キャリアや自己理解系のビジネス書をいくつか読んでいると、
多くの本に「夜と霧」からの引用文が書かれていました。
さすがに何回も見るので、
なんなんだ、この本は。
と興味を持ち、読んだという流れです。
そして、実際に読んでみて、
数々のビジネス本に引用されてたことに納得しました。
この過酷な状況に比べれば、
衣食住も満たされて、自己実現をしたいと願っている今の自分は遥かに恵まれている。
だからこそ、今苦しくても、未来への希望を持って生きようと思えます。
本書の概要と著者の背景
読んだことがない方向けにざっくりと本の概要と著者の背景を記載します。
著者は、心理学者で精神科医のヴィクトール・フランクルが、第二次世界大戦中に経験した強制収容所での日々を通じて「生きる意味」を考察した書です。
戦時中と比べたら、豊かで平和な時代を生きる僕たちにとって
収容所内の生活は、現実に本当にこんなことがあったのかと考える凄惨なものでした。
収容所では、過去の身分など一切関係なく、身ぐるみ剥がされ、髪の毛から何から奪われて、一人一人がただの番号で呼ばれる。
入所直後は、便所掃除や糞尿の汲み取りをしたものを運ぶ作業グループに入れられる。
地面は凸凹しているので、顔に跳ね返ったりするのを拭おうとしたりすれば、見張り役から容赦なく棍棒で殴られる。
それ以外にも、見張り役の気分だけで殴る蹴るは日常茶飯事。
そして、食事は1日1回のほんの小さなパンだけで、ぎゅうぎゅう詰めの部屋で寝かされる。
そんな過酷な状況下で、怪我をしたり、病気をした人から使えないとみなされ、即殺される。
考えただけでもゾッとするような状況ですよね。
こんな衣食住もままならず、生死の境にある環境で
フランクルは、人間がどのように心理的に耐え、何に希望を見出すかを観察しました。
そして、たとえ肉体的な自由が奪われる状況でも、
人間は「自分自身の心の在り方を選ぶ自由」だけは奪われないと結論付けます。
極限状態での生きる意味の発見
フランクル曰く、
このような過酷な状況下では、集団の中で目立たないことが身を守る手段だったそう。
「私」という自分の主体性や個性を発揮するなどとは無縁の世界。
いつこの収容所から解放されるか、ましてや生きて出れるかもわからない。
実際、多くの被収容者は、
「自分は、この収容所を生きて出ることができるだろうか?」
と常に心の中で考えていたそう。
僕も同じ状況だったら、いつになったら出られるのかと考えたんじゃないかと思います。
一方で、フランクルは、
「今、感じてる苦しみや死には意味があるのだろうか?」
と考えていました。
そして、彼は収容所にいるときから、自分が大ホールの舞台で聴衆の前で
「強制収容所」の心理学というテーマで語っている姿をイメージしていたとのこと。
そうすることで、
現在の過酷な状況をどこか超然とした気持ちで
過去のものとして俯瞰することができたとあります。
この辺りは現代にも通ずる考え方ですよね。
ここまで過酷な状況ではないと思いますが、
多くの方は大なり小なり日々の悩みを抱えていると思います。
自分でコントロールできないこと、は考えない。
あくまで、自分がコントロールできることに集中する。
そして、今抱えている悩みは将来どう活かせるのか。
例えば、今の自分と同じように困っている人が将来現れたら、
自分の経験が役に立つ時が来るかもしれないですよね。
ブログのネタ出しのアイデアでは、よく過去の自分を助けるような記事を書くといいよと言います。
僕が、このブログを書いているのはまさにこれです。
過去に自分がキャリアに悩んでいたからです。
その頃の自分と同じような状況の人の役に立てばいいなという想いで書いています。
この本をどう活かすか
フランクルが提唱する「どんな状況でも意味を見出せる」というメッセージ。
「この苦しみも長期的には自分にとって何かの役に立つのかもしれない」と考え直すと、
前向きに今、進んでいけるかもしれないですね。
自分に当てはめて考えてみようと思います。
まさにこのブログを書いている今の自分は、何者でもありません。
この記事は、ブログ開設して3記事目です。
ほとんど誰からも見られることはありません。
誰からも見られないし、報酬が得られるわけでもない。
継続するのはとてもしんどいことです。
ただ、1年後の自分を想像してみます。
ブログ記事を100記事すでに書いていて、
毎日読者が10人は訪れるものになってたとします。
読者の方の中からは、
「今、仕事で悩んでたんですけど解決しました!ありがとうございます!」
と連絡をくれる人がいるかもしれません。
今書いてるものの積み重ねの先に、そんな未来が待っている。
そう考えれば継続できる気がしてきます。
本書の中で引用されていたニーチェの言葉、
『なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える』
とありました。
生きるだと少しテーマが大きいので、
「なぜ、その仕事をするかを知っているものは、どんな困難にも耐える」
と噛み砕いたら、わかりやすいかなと思いました。
僕は、このブログを通じて、”フリーランス”になる人を増やしたいと思っています。
ここでの言葉の定義としては、
フリーランス=主体的に考え、行動してる人
だと思っています。
誤解しないで頂きたいのは、
会社員はみな主体性がないと言いたいわけでは全くありません。
むしろ、主体性も行動力もある人もいることはわかっています。
ただ、1回でもフリーランスになると、
全員が必然的に主体的に考えて行動せざるを得なくなります。
なぜなら、凡人の僕自身がそうだったからです。
僕が会社員だった頃は、
正直、自分で売上を作るという発想もないですし、
与えられた責任(ノルマ)は達成するものの、
給与についても税金を天引きされた後の額面しか見てなかったです。
株式投資をしてたときは、株の上がり下がりなどは気にするものの、
世の中の動きについても、そこまで我ごとには捉えてなかったです。
ただ、フリーランスになって
世の中に目を向けるようになってから思いました。
このままだと日本やばくね?って。
インフレによる物価高、増税、少子高齢化….
だから、フリーランスになる人を増やすことで
日本全体の動きに目を向ける人が増える。
それが明るい日本を作る第一歩なんじゃないかと。
これが、僕がこのブログをやる意味付けです。
あなたは、今のご自身の仕事に対してどんな意味を見つけられますか。
本の目次
心理学者、強制収容所を体験する
1.収容
2.収容所生活
3.収容所から解放されて